先日の展示を外国人の彼と一緒に観にきてくれた友人のボウシちゃんがメールをくれた。
「いわいさんが「イラストなんて意味ない」と話していましたが、日常にあって、でも意識していないことを画や像をとおして具現化・具体化するのがアートだと思います。
あの場所で、かわいい雑貨・技術はおいてありましたが、アートがおいてあったのはいわいさんだけだったんじゃないかなあ・と彼&ボウシで帰りのバスにゆられながら話していました。
特に彼は岩井さんが「意味ない」と言ったことを否定したかったようですが、素人がアーティストにものもうすのもナンダカナ-ということで静かにしてたようです。
一瞬の場面を温かい色合いで、見ている方がイロイロ想像できる作品だねと話していました」
と。
返信をするために文を作っていたら、以前から考えていたこと、この展示に取り組む過程で感じてきたことが整理されてきてとても新鮮な気分だったので記録。
私は自分をアーティストだなんて考えたことがなくて
むしろアーティスト性はないと思っていたから、そういう見方を教えてもらえたのも新鮮な感覚だった。
今回もほかの作家さんのほうが、「ア―ティスト」だと思っていたくらいだ。
そして、私も本当には「イラストなんて意味ない」とは思ってないのよね。
心の豊かさのために、むしろ十分に意味はあるんだと今回の展示期間中に強く思えるようになってきた。
けど「意味はあるはずだ」と確信しつつ一方「意味なんてないんじゃないか」って自信をなくしたりしながら
その意味を探していたのかもしれないな。今まで。
「アートとは何か」ってあまり考えたことなかったのだけど
「日常にあって、でも意識していないことを画や像をとおして具現化・具体化するのがアート」 っていわれてはじめて、
その視点で言うと私は「アーティスト」なのかもしれない。
作品を作るときには意識していない部分を意識しようとしている。
むしろ作品を作るときというより、ことあるごとにちょくちょくその感覚で物事にあたっていた。
それをすることは小さい時から私の中では普通のことだったし、それをすることについてあまり気にしていなかったけど。
そんなふうに、それ自体があまりにも普通のこと過ぎたからこそ
その「意識していないことを具現化する」ことに、いったいなんの意味があるのさ…って、時に私は思ってしまっていたのかも。
そんな見えないものよりも、衣食住の基本的な部分に関わっていたり、命を扱ったり育んだりする第一次産業・第二次産業のお仕事のほうが、よっぽど現実を生きていくために必要だろうから
それを出来る人の方がエラい!とか思ってた。
私がやりたがっていることなんて、そういう人たちがてくれなければなりたたない、しょせん第三次産業なのよ・・・って。
でもそういうわけではない。それだけじゃないって思えるようになってきて
そこにメールで自分のやっていることについて客観的な見方を教えてもらえて、改めて「あぁ、こういうやり方・生き方にも価値がある」ってみとめてあげられるようになってきた。
意識していないもの
自分の中のそれを表に出すことがアート。
他人の中のそれに意志を持って働きかけることがデザインだとするなら、
アートとデザインがバランスよく両立出来ることが理想だな。
私、という存在は主張しなくていい。
受けて側が、受けて自身を強く感じるきっかけになるような物、事ができればいい。
とはいえ、私という人間自体がデザイン性のある存在になれるなら、「いわいあいみ」という人間にそういう価値がうまれるなら
それはとてもよさそうだから、それもいい。
そのあたりを、バランスよく。
以前イラストスクールで和田誠さんが「イラストを描くならデザインも勉強したほうがいい」って言っていたけど、そういうふうにつながっているのかも。
あと、
そういう大きな意味で考えると
人はもともとみんなアーティストなんじゃないかしら。
子供はみんな、アーティスト。
そう思いました。
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